東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)140号 判決 1996年10月24日
昭和六一年(行ウ)第一一三号事件(以下「甲事件」という。)原告、
株式会社教育社
同第一四〇号事件(以下「乙事件」という。)参加人
(以下「原告会社」又は「会社」という。)
右代表者代表取締役
髙森圭介
右訴訟代理人弁護士
音喜多賢次
同
山口邦明
右訴訟復代理人弁護士
宇野正雄
甲、乙事件被告(以下「被告」という。)
中央労働委員会
右代表者会長
山口俊夫
右指定代理人
菅野和夫
同
嶋田忠博
同
福地靖
同
森川由紀
甲事件補助参加人、乙事件原告
教育社労働組合(以下「原告組合」又は「組合」という。)
右代表者執行委員長
遠藤勤
同
山入端辰雄
同
樫村滋
同
中嶋文夫
同
森彪
同
秦尚義
右六名訴訟代理人弁護士
山花貞夫
同
栗山和也
同
中野新
同
井上章夫
同
西畠正
同
前田裕司
同
栗山れい子
同
小島啓達
同
中川瑞代
主文
一 被告が、中労委昭和五一年(不再)第五号・第八号事件について、昭和六一年五月七日付けでした別紙命令書<略>記載の命令中、主文2項及び3項の部分を取り消す。
二 甲事件原告のその余の請求及び乙事件原告らの請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、参加によって生じたものも含み、甲事件に関するものはこれを五分し、その一を同事件被告の、その余を同事件原告のそれぞれ負担とし、乙事件に関するものは同事件原告らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の請求
一 甲事件
被告が、中労委昭和五一年(不再)第五号・第八号事件について、昭和六一年五月七日付けでした別紙命令書記載の命令中、主文1項(ただし、申立人藪(ママ)武司、同中嶋文夫、同吉本政夫、同宮崎昭夫、同秦尚義を削除した部分を除く)、2項及び3項、並びに4項のうち原告会社の再審査申立てを棄却した部分は、いずれもこれを取り消す。
二 乙事件
被告が、中労委昭和五一年(不再)第五号・第八号事件について、昭和六一年五月七日付けでした別紙命令書記載の命令中、主文3項及び4項のうち原告組合の再審査申立てを棄却した部分(ただし、申立人中嶋文夫、同秦尚義の1項に関する部分を除く)は、いずれもこれを取り消す。
第二事案の概要
一 前提となる事実(以下の事実は、当事者間に争いがないか、末尾掲記の証拠によって認められる。月日のみで表示するものは、昭和四六年である。)
1 当事者
(一) 原告会社は、代表取締役髙森圭介(以下「社長」という。)が昭和四三年一月に東京都中野区で個人経営をもって中学三年生向け家庭学習教材である「トレーニング・ペーパー」(以下「トレペ」という。)を発行したことに発祥した。事業は順調に発展し、対象を小学生から高校生全体に広げ、同年六月に杉並区内に事業所を移転し、さらに同年一二月二三日、従業員四名、事業分室二か所をもって、教育に関する研修資料の制作及び販売、教育の普及、啓蒙、教化、学術情報の提供、各種出発物及び付帯業務並びに販売等を目的とする株式会社として設立された。
会社は、昭和四四年六月に印刷工場を有する本社社屋を東京都武蔵野市に新築して(以下「旧本社」という。)、従来の事業分室を閉鎖した。当時の従業員は二四名であった。その後もトレペの購買者は増加の一途を辿り、同市内の井野ビル、西川ビル、三協マンション及び東京都杉並区内の第一不動産ビルに新たに事業分室を設置し、さらに昭和四六年九月には社屋を同所から現在の肩書地の東京都東村山市に移転した(以下「本社」という。)。昭和四七年一月当時は、小・中学生、高校生向けの月刊家庭学習教材であるトレペ、月刊家庭学習教材「デイリー・プログラム」、社会人向け「コンピューター講座」等の出版、販売をしていた。会社の従業員は本件再審査結審時(昭和五七年二月九日)約一六〇名であった。
本社移転前後の業務内容は、次<表一―>のとおりであった。
(二) 組合は、一月一八日に会社の従業員約六〇名によって結成された労働組合であり、その組合員は本件再審査結審時一八名であった。
(三) 乙事件原告山入端辰雄、同樫村滋、同中嶋文夫、同森彪及び同秦尚義及び中労委昭和五一年(不再)第五号事件再審査被申立人、同第八号事件再審査申立人籔武司、同千葉和彦、同三鈷照一、同吉本政夫及び同宮崎昭夫は、会社の従業員であったが、昭和四七年一月三日付けで会社から懲戒解雇の意思表示を受けた(以下「本件解雇」といい、解雇された右従業員を「本件被解雇者ら」という。個々人をいう場合は単に姓のみで略称する。)。本件被解雇者らは、本件解雇当時、組合の組合員であった。同人らの入社時期、会社における所属及び組合役員歴は、次<表二―>のとおりである。
2 組合結成後の労使関係
(一) 組合は、一月一八日、会社に対し、組合の結成を通知するとともに、<1>就業時間中における組合員の組合活動を認めること、<2>組合事務所を旧本社製版室階下の事務室の一部に設けること、<3>組合の掲示板を旧本社二階事務室の入口の左側と製版室階下の事務室入口の左側に設けること、<4>今後、組合の提起するすべての問題に関しては、すみやかな団体交渉によって解決し実現することの四項目について、同月二二日に団体交渉を行うことを要求した。
(二) 第一回団体交渉は二月九日に開かれ、それ以降、会社と組合は、右要求事項について団体交渉を数回行い、三月一二日の団体交渉において、組合事務所として旧本社製版室の一部(一階部分の四分の一、約一〇平方メートル)を貸与すること及び組合掲示板を旧本社編集室入口壁面と組合事務所外壁の二か所に設置することを合意し、その際、組合事務所の貸与に関する念書を取り交わした。会社は、当時、旧本社の事務部門について、移転先は未確定であったがいずれ三鷹駅南口所在の三菱銀行ビルの八階を賃借してそこに移転させることが予定されていたため、組合との間で、旧本社内の組合事務所の使用期限は本社移転時期までとすること及び旧本社内の組合事務所の使用時間は午前八時三〇分から午後八時までとし、移転後は午後七時までとすることを取り決め、また、本社移転後の組合事務所の場所、広さ等設置についての詳細は、その時点で改めて決定することを合意した。
3 昭和四六年春闘における紛争
(一) 組合は、三月二六日、会社に対し、一律二万一四〇〇円の賃上げを行うこと、嘱託社員を正社員にすること、人事について組合の同意権を認めること、土曜日の半休制を実施することの四項目を要求した(以下「四項目要求」という。)。組合は、三月三〇日以降、会社と団体交渉をしたが進展をみなかったため、四月二七日に臨時組合大会を開いてストライキ権を確立し、その後も会社と団体交渉を行ったが進展をみず、五月一八日に全日ストライキを行った。
(二) 会社は、従前、トレペの編集担当者に対して業務命令をもって手持ち原稿の提出を求めたことはなかったが、五月二五日、トレペ編集業務が停滞していることを理由に理科と小学校部門を除くトレペの編集担当者に対して、すべての手持ち原稿を終業時までに各科目の編集主任に提出することを求める業務命令を発した。これに対して、編集担当の組合員は原稿提出の理由説明を求めてこれに応ぜず、組合は、午後四時四〇分から編集部門の部分ストライキに入った。その際、本件被解雇者ら(森、吉本を除く)を含む編集担当の組合員は、各自の机の抽出しに原稿を入れて施錠したり、ガムテープを貼り付け、その後、組合名の入った紙で封印した。非組合員もこれに同調して自分の机の抽出しにガムテープを貼り付けた。(<証拠・人証略>)
(三) 会社と組合は五月二五日午後五時三〇分から団体交渉をしたが、決裂した。組合は、翌二六日無期限ストライキに入り、六月四日に妥結するまでの間、ストライキを続けた。
五月二六日朝から、男子組合員は旧本社構内入口付近で出勤して来る非組合員に対する説得に当たり、女子を中心とする二十数名の組合員は旧本社二階事務室に通じる幅一・五メートルの階段への座込みを行った。これに対して、社長ら会社幹部約一〇名と非組合員の主任数名が、組合員の座り込んでいる階段を通って社屋内に入った。
(四) 五月二六日午前一〇時三〇分頃、会社から印刷物等の運送業務を請け負っている丸和運送有限会社(以下「丸和運送」という。)が、旧本社一階の印刷工場から印刷物を搬出しようとした際、組合員がトラックの運転手にこれをやめるよう説得して口論となったりしたため、トラックの運転手は印刷物の搬出をあきらめた(<証拠略>)。
(五) 組合は、五月二六日には旧本社の製版室において、翌五月二七日には井野ビル内の製版分室において、非組合員の机の抽出しや原稿等の入っている保管ケースを組合名の入った紙で封印した。製版の主任鈴木久宣は、自分の机の封印をはがして原稿を持ち出したが、組合との間で特段のトラブルは生じなかった。
(六) 五月二六日深夜、会社は、刷り上がったトレペ及び編集作業のために必要な辞書類を旧本社社屋外に持ち出した(<証拠・人証略>)。これに対して、組合は、五月二七日夜から六月四日の争議解決までの間、旧本社二階の事務室内と廊下に組合員七、八名を泊まり込ませ、会社から再三にわたって退去を要求されたが、これに応じなかった。
(七) 五月二七日午前六時頃、総務室勤務の非組合員は、組合のピケが張られる前に旧本社社屋内に入室した。これに対して、本件被解雇者らを含む組合員四、五十名が同日の午前と午後の二回、旧本社二階の事務室前に集まり、ハンドマイクを使用して、会社が前夜に実行した業務資材の持出し及び総務室勤務非組合員の同日早朝の入室に抗議するとともに、争議の早期解決を訴えた。
(八) 五月二七日、三協マンションの営業分室勤務の一女子組合員が会社に無断で同マンションの管理人から同室の鍵を借り受けたため、会社は、これについて組合に抗議するとともに鍵の返還を求め、組合は直ちにこの鍵を返還した。
(九) 丸和運送は、五月二七日午前一〇時頃、トラックで印刷物を搬出しようとしたところ、前日と同様に組合員のピケに遭い、これを搬出することができなかった。また、同日午後一一時三〇分頃、社長ら十数名の会社幹部は、丸和運送の社長、運転手とともに旧本社の印刷工場から刷り上がった教育ノートを丸和運送のトラック二台で搬出しようとした。これに気付いた泊込み中の組合員が会社の行動に抗議し、この騒ぎに付近の住民も出てくるなどの事態になった。そこで、会社は、組合に今後同様のことを行わない旨の文書を入れて、この搬出を断念した。その後、社長らが事務室に保管していたトレペの会員台帳を移動しようとしたところ、数人の組合員は、社外への持出しを阻もうとした。これに対して、社長は、社長室以外には持ち出さない旨述べて、この台帳を社長室に移動した。
(一〇) 株式会社大一製本(以下「大一製本」という。)及び有限会社中央美術(以下「中央美術」という。)は、それぞれ会社から製本、印刷を請け負っていたものであるところ、六月一日、大一製本は、中央美術から刷り上がった印刷物をトラックで搬出しようとしたところ、トラックの運転台に組合員が乗り込んできたりし、結局、印刷物の搬出ができなかった。
(一一) 会社は、組合が無期限ストライキに入って以降、丸和運送の社内及び会社の主任の自宅などで非組合員やアルバイトを使ってトレペの編集業務などを続けていた。この間、組合員は、これらの場所を探索し、会社の主任宅に電話をかけたり訪問したりして、ストライキを妨害しないように説得した。
(一二) 会社と組合は、六月四日、春闘の四項目要求について、一律三〇〇〇円プラス年齢による一定額の賃上げを実施すること、土曜半休制を実施すること等の内容で妥結し、確約書が交わされた。その際、会社は、立ち上がり資金としてストライキによる賃金カット分の中から六〇パーセントを支給することを了承した。
4 組合事務所の移転・設置をめぐる紛争
(一) 旧本社は、その敷地が借地であり、三月末までに社屋を撤去して地主に明け渡すことになっていた。そこで会社は、二月頃から現本社を新築して、印刷工場、製版及びコンピューター部門を同所に移し、編集、事務、営業等の主要部門は三鷹駅前に新築される三菱銀行ビルの一部を賃借して移転する計画を進めていた。そして、会社は、同ビルに移転した際には同ビル内に組合事務所を設ける意向を組合に示していた。もっとも、三月に至り、右移転が九月まで延長された。
(二) しかし、会社は、昭和四六年春闘における争議により著しく対外的信用を失墜したこと等を理由に、六、七月頃には三菱銀行ビルへの移転を断念し、会社の右主要部門も現本社に移転させることとしたうえ、組合に右主要部門を現本社に移転させることを通知したが、組合は格別これに異議を唱えなかった。しかし、七月一九日午後に至り、大多数が組合員であるトレペ編集室から強い難色が示されたため、会社は、数日後、トレペ編集室を井野ビルの製版分室のあとに移転させることに変更した。(<証拠・人証略>)
(三) 組合は、春闘妥結後の六月二六日、会社に対し、夏季一時金として、正社員は固定給の三・五か月分、嘱託社員は固定給に五〇〇〇円を加えた額の三・五か月分の支払を要求し、六月から七月にかけて団体交渉が続けられ、会社は、七月一五日に第三次回答を最終案として、正社員は固定給の二・三か月分について、嘱託社員は固定給の三・五か月分について各勤続日数割の支払を提示したところ、組合は、これに対してストライキ権を確立することができず、結局、同月二八日、この案で労使の妥結をみた(<証拠・人証略>)。
(四) 組合は、八月一一日、本社の移転に伴って組合員が二分されることから、会社に対して、組合事務所を三協マンション四階の事務室内及び現本社内の二か所に移転・設置することなどの五項目を要求した。
会社と組合は、八月一三日以降、組合事務所問題について団体交渉をしたが、この席上、会社は、本社社屋内に組合事務所を設置することについては、「スペースがない。」旨回答し、また、組合事務所を三協マンション内に設置することについては、同マンションは各部屋が独立していてそれぞれ編集及び営業の各部門が使用しており、その一部屋の明渡しが必要となることを理由に拒否した。組合は、八月二五日に代案として井野ビル内に設置することを要求したが、これについても、三協マンション以上に狭隘であることなどを理由に、これを拒否した(<証拠・人証略>)。そこで、組合は、さらに九月に入ってから、本社敷地内に組合事務所を設置することを求めてきたが、これについては、土地が担保に入っていること、会社資金の逼迫が原因で右敷地の処分を検討中であること、隣地との境界付近は防火及び消火対策上、組合事務所の設置ができないことなどと述べていずれも拒否し、会社付近に事務所を一か所借りて組合事務所とすることを提案した。
(五) 組合は、九月九日、臨時組合大会を開き、組合事務所の移転・設置等五項目の要求を掲げてストライキ権を確立し、また、同日以降、現本社内に組合自らが設置した組合事務所に移転する一〇月二二日までの間、旧本社内の組合事務所に泊込みを続けた。会社は、九月二一日以降、組合に対し、右組合事務所を明け渡すように申し入れてきたが、組合はこれに応じなかった。
(六) 会社は、八月一日に印刷部門から移転作業をはじめ、九月一〇日夕方、組合に対し、同月一三日には電気、ガス、水道が止まる旨通告し、同月一二日にすべての移転作業を終了した。そして、旧本社の解体作業は同月一四日から開始され、同月二〇日には旧本社の組合事務所を残すだけとなった。
これに対して、組合は、組合事務所の移転・設置問題について、同月一三日から一〇月二八日までの間、一七波にわたって時限ストライキを実行した。
(七) 組合は、九月二〇日午後二時三〇分頃、本社敷地内の片隅(印刷工場の西南角の前)に、旧本社の解体業者から譲り受けた古材を運び込んでバラックの組合事務所(約一三平方メートル)を建築した。これには、籔を除く本件被解雇者らも従事した。その際、社長ら会社幹部はこれを阻止しようとしたところ、組合員との間にトラブルが生じ、会社からの連絡により警察官が待機するということがあった。また、同日午後四時頃、組合は、井野ビルの事務室内の廊下突き当たりの場所に脇机一個を置いて「教育社労働組合仮事務所」という標札を掲げた。(<証拠・人証略>)
会社は、九月二三日の団体交渉において、井野ビル内への組合事務所の移転・設置については認めたが、現本社敷地内の組合事務所については認めなかった。しかし、組合は、一〇月二二日、旧組合事務所を明け渡し、現本社敷地内に組合自らが設置した組合事務所へ移転した。
(八) 会社は、一一月二〇日、東京地方裁判所八王子支部に本社敷地内の組合事務所について建物収去・土地明渡しを求める訴えを提起し、昭和五〇年一二月一五日、同支部は会社の請求を認容する判決を言い渡した。
5 トレペ編集業務をめぐる紛争
(一) トレペ編集室員は、大多数が組合員であったが、昭和四六年一〇月初め頃、組合事務所の移転・設置をめぐる紛争によってその編集業務が著しく遅れたため、各科目の編集主任は、発行期日に間に合わせるように組合員とは別個に仕事をする体制をとり、井野ビルの編集室を避けて営業企画室がある荻窪ビルや各人の自宅などでアルバイトを使用して編集業務を続け、この頃から組合員が校正に回した原稿が返ってこないという状況が恒常化した(<証拠・人証略>)。
(二) 一〇月一三日、組合員は、荻窪ビル内に臨時に借用した隣室で主任二名が数名のアルバイトを使って編集業務をしていることを察知し、十数名の組合員が同所に赴き、これに抗議するとともに、同日午後四時頃、室内の窓や壁にビラ十数枚をセロテープで貼付したため、壁が汚損され、また、出入口の鍵の穴にマッチ棒を詰め込んで使用を困難にした。翌一〇月一四日、三鈷執行委員長、吉本副執行委員長及び宮崎執行委員を含む十数名の組合員が再び荻窪ビルに赴いたが、当日は編集業務はされていなかったにもかかわらず、抗議のため同室内に立ち入ろうとし、これを阻止しようとした営業企画室長松田昌泰(以下「松田営業室長」という。)との間で扉を挟んで押し合いとなった。その際、松田営業室長の肩が扉に強く当たり、扉のガラスが破損した。(<証拠・人証略>)
(三) 吉本副執行委員長、宮崎執行委員及び森を含む組合員約一〇名は、一〇月二〇日午前一一時過ぎ頃、三たび荻窪ビルに押し掛け、臨時借用中の部屋の編集作業を点検し、英語科の編集原稿を発見した。そして、同日正午頃、同ビル前の路上で一般書籍編集責任者辻裕之(以下「辻編集責任者」という。)と松田営業室長を取り囲み、トレペの編集業務をしていることについて抗議する一方、井野ビルにいた宮崎執行委員に対し、同人の担当である英語のトレペ一一月号の編集業務が同ビル内で行われていることを連絡した。そこで、宮崎執行委員は、同ビル内の営業企画室に赴き、アルバイトが所持していた社長執筆にかかる校正原稿を「これはおれのだ。」と言って強引に取り上げた。そして宮崎執行委員は、同ビル前で他の組合員の抗議を受けていた辻編集責任者に対し、「私の仕事だから持っていきます。」と言い残して、これを井野ビルのトレペ編集室に持ち帰ったが、社長から強い返還申入れを受けたため、同日午後五時過ぎ、社長にこの原稿を返還した。その間、組合員らは、辻編集責任者やアルバイトに対し、編集業務を中止するよう執拗に抗議したため、同人らはやむく仕事を断念した。(<証拠・人証略>)
(四) 会社は、株式会社東京出版サービスセンターとの間で昭和四四年一一月に出版校正請負契約を締結し、同社の校正労働者一〇名をしてトレペ編集室内でのトレペ校正業務に従事させていたところ、一〇月一八日、右校正労働者らに対して、井野ビルのトレペ編集室以外の場所で校正業務に従事することを命じた。ところが、右校正労働者らは組合の組合員ではないが、早急に争議の解決を図ってほしい旨を述べ、これに応じなかった。このため、会社は、一〇月二一日、株式会社東京出版サービスセンターに対し、右校正労働者一〇名にかかる出張校正請負契約を解除する意思表示をした。
(五) 会社は、一一月一日から五日までの間、小学校担当、国語担当、社会担当、数学担当の編集員である組合員をそれぞれ本社に呼び、テープレコーダーで録音しながら、編集業務の遅滞を解消して締切りに間に合うかどうかを尋ねた。これに対して、中嶋書記長、森執行委員、吉本副執行委員長及び秦を含むほとんどの組合員が争議中であることを理由に約束できないと答えたため、会社はこれらの組合員に対して期限の制約をあまり受けない企画、整理などへの業務の変更を指示するとともに、同人らの手持ち原稿を提出するように求めた。しかし、右組合員らがこれに応じなかったので、会社は、組合員らに対し、一月九日、同月一五日及び同月二六日の三回、文書をもって手持ち原稿等の提出を求める業務命令を発したが、組合員らはこれに応じなかった。
この間、非組合員を含めたトレペ編集室員全員は、連名の文書をもって右業務命令の理由説明を求め、組合も団体交渉でこの問題を取り上げた。これに対して、社長は、「組合員は業務命令の理由を説明する対象ではない。業務の返還は、組合がストライキ権をおろし、しかもすぐスト権が立つ状態でないこと、現本社敷地内の組合事務所設置問題を取り下げることが条件である。」として、全くこれを取り合わなかった。(<証拠・人証略>)
6 昭和四六年末の組合要求をめぐる紛争
(一) 組合は、一二月二日頃、会社に対して、同年年末一時金として三・八か月分を同月二〇日までに支給すること、校正労働者に対する「解雇」を撤回し、復職させること、トレペ編集員に編集業務を返還すること、一方的な配置転換を撤回すること、嘱託社員に対し正社員なみの住宅手当及び食事手当を支払うこと、冬期休暇を一二月三〇日から一月五日まで認めることなど六項目を要求した。会社と組合は、一二月七日及び一〇日に団体交渉をし、会社は、年末一時金として〇・五か月分を支給する旨回答したが、その他の項目は認めなかった。組合は、一二月一四日、右要求事項実現のため、ストライキ権を確立した。
(二) 組合は、一二月一五日に会社と団体交渉をしたが進展をみなかったため、同月一七日、事前の通告をせずに、始業時である午前九時から正午までの時限ストライキを実行した。同日朝から、組合は、正門付近及び本社社屋の玄関内側に組合員を説得要員として配置し、本社社屋内にある階段に多数の組合員が座り込んだ。
社長以下会社幹部、電話交換手、経理・総務担当の職員は、本件被解雇者らを含む組合員が座り込んでいる階段を通って社屋内に入ったが、大部分の非組合員は女性であって尻込みしてしまい、あるいは、組合員の説得を受け入室しなかった。その際、主任三名は、「就労の意思あり」と書いた紙を手に持ち、組合員の説得に耳を貸さず組合員が座り込んでいる階段を数段駆け上がったが、それ以上は組合員を排除しなければ上がることができなかったために引き返した。再び、午前一一時頃、社長に率いられた非組合員三、四十名がピケの前に現われ、社長はこれら非組合員を入室させようとしたが、非組合員は、入れろ入れないの押問答を繰り返し、結局、組合員の説得を受け入室しなかった。その後、社長に率いられた非組合員は、本社移転に伴って東京都板橋区から本社敷地内に移転した大一製本内から、本社社屋と大一製本との間にある印刷物搬送通路(幅約三・三メートル)を通って本社一階の印刷工場まで入り、そこの階段を利用して二階事務室に入室しようとしたが、組合員から抗議を受け、入室を断念し、引き揚げた。(<証拠・人証略>)
(三) 一二月一八日は土曜日で半日勤務であったところ、組合は、始業時から昼までの全日ストライキをし、前日と同様のピケを実行した。
会社は、午前一〇時三〇分頃、丸和運送の幌付きトラック二台に非組合員約三〇名を分乗させ、本社一階の工程管理室の窓から入室させようとしたが、組合員らに発見され、スクラムで阻止され、トラックはそのまま引き揚げた。
一方、組合は、会社が前日に会社の裏門にもなっている大一製本から本社社屋内への入室を図ったため、同日以降、車両通行のため日中は開門されている大一製本の正門を無断で閉鎖し、その付近で、組合員二十数名がピケを張り、会社従業員の出入り及び資材の持出しがないかどうかを監視した。(<証拠・人証略>)
(四) 会社は、翌一九日に本社から製版及びトレペ会員事務に関する資材等を社外に持ち出し、それ以後、編集、製版、会員事務の業務を社外で行った。当時、会社には約六〇名非組合員が就労していたが、うち約二〇名が製版業務に、約二〇名が会員業務に従事していたので、同日以降は、昼夜勤の印刷業務に従事する約二〇名が残留することになった。
組合は、一二月二〇日に会社と団体交渉をしたが決裂したため、午後一〇時頃、樫村書記長、千葉執行委員及び秦を含む組合員七、八名を社屋に泊まり込ませ、同月二一日から無期限ストライキに入った。同日午後二時頃、社長が原稿や経理関係の書類を社外に持ち出そうとしたところ、数人の組合員に呼び止められ、取り囲まれたうえ、籔から「それは何か」「会社でやる業務ならば会社でやってください。」と言われ、玄関付近に多数の組合員がピケを張っていて外に出られない状況であったため、社長はこれを断念した。その後、組合は、これ以上の業務の社外持出しを防ごうとして、一二月二一日から同月二九日まで本社三階の製版室に寝具を持ち込み、組合員七、八名(本件被解雇者らも交替で随時)に泊込みを続けさせ、以後の資材の持出しを監視し、これに抗議する目的と、夜勤の印刷業務に従事している非組合員に対する説得活動を強化するため、会社からの退去通告に応じなかった。
そこで、会社は、一二月二二日以降、組合に対して退去要求をしたが、組合員らは全くこれに応じようとしなかったことから、不測の事態に備え、工場長柿沼勝(以下「柿沼工場長」という。)を本社一階の印刷工場に泊まり込ませ、三階製版室にも出入りして状況を把握することができるようにした。ところが、泊込み中の本件被解雇者らを含む組合員が暖房器や電話を無断で使用したので、その禁止を組合に数度にわたって通告したものの、組合員がこれに応じなかったため、動力操作盤の電源を切って、これに封印した。これに対して、右組合員らは、電源を入れ直して抵抗したため、会社が三階全体の電源を切ったところ、本社社屋内に石油ストーブを持ち込んで使用し、また、会社敷地内と大一製本正門前公道上など数か所で焚火をして暖をとった。(<証拠・人証略>)
(五) 会社は、一二月二二日、組合に校正労働者の「解雇」問題について、校正労働者が株式会社東京出版サービスセンターから派遣されてくるものであるから会社との間に雇用契約関係がないことを理由に、これを団体交渉の議題からはずすことを求め、この問題について今後団体交渉に応じない旨表明した。
また、会社は、一二月二五日頃、非組合員である印刷工場の従業員に対して、年末一時金として〇・五か月分及び柿沼勝工場長の個人的な貸付金名目で四万円を支給した(<証拠略>)。
(六) 会社は、本社社屋を建設した際、搬送通路に並行して有刺鉄線の柵を設置していた(<証拠・人証略>)。会社は、一二月二四日、本社一階の印刷工場から大一製本に印刷物を送り込む通路を確保するために有刺鉄線の柵を補強したが、組合は、印刷従業員が組合員に気付かれないように印刷工場に入り、印刷業務を続けたため、このままでは右通路が非組合員の印刷従業員や印刷されたトレペの搬出に利用されることを懸念し、同日午後、この有刺鉄線の一部を取り払って同搬送通路に座り込み、午後六時過ぎ、約一五名の組合員がスクラムを組み、夜勤の印刷工場の非組合員六、七名が社屋内に入ろうとするのを阻んだ(<証拠・人証略>)。
一二月二四日深夜、社長は、本社社屋内に正門から入ろうとした際、鉈を持っていた三鈷に暗がりの中から呼びとめられ、その状況に驚かされたことがあった(<証拠・人証略>)。
その後、社長、柿沼勝工場長らは、組合に破られた右搬送通路の柵を修繕し、その内側に印刷物運搬用のパレット及び耐火ボードを使って塀を作った。しかし、翌二五日の早朝、組合は、樫村書記長、千葉執行委員及び三鈷が中心になって再び柵と塀の一部を破り、同搬送通路に座り込んだ。会社は直ちに、組合に対し、塀の補修と通路からの退去を求めたが、組合は応ぜず、その場に居合せた組合員から、総務室長桜田太郎(以下「桜田総務室長」という。)に対し、「お前は命が危ないぞ」との発言が出た。(<証拠・人証略>)
(七) 会社は、一二月二七日午後二時三〇分頃、組合に搬送通路からの退去を勧告した後、柿沼工場長及び松田営業室長らが中心となって印刷工場の扉や反対側の大一製本の扉を開けてトレペ一月号の刷本を搬出しようとしたが、組合員が座り込んでいたため扉を開けることができなかった。そして、柿沼工場長及び松田営業室長が再度扉を開けようとしたところ、これをやめさせようとした組合員ともみあいになり、現場が騒然となったため、会社の要請により事態を見守っていた警察官が、全組合員を搬送通路から排除した。その際、大一製本の従業員もこの排除に協力した。(<証拠・人証略>)
搬送通路から排除された組合員は、その後、本社社屋内になだれこみ、二階の総務室前の廊下で抗議集会を開く一方、大一製本に赴き、同社の社長田村昭に対し、同社の従業員が組合員の排除に協力したと主張して抗議し、その際、組合員の一部が「夜道に気をつけろ」等と不穏当な発言をした。その間に、会社は、有刺鉄線の柵を補修したが、組合は、同日夕方、これを破損した。(<証拠・人証略>)
(八) 会社は、一二月二七日夜から特別防衛保障株式会社(以下「特防」という。)のガードマン三名を会社に常駐させ、翌二八日にはこれを八名に増員した。右ガードマンについては、当時、労働争議を実力で制圧する方法をとっていたことが非難の対象として報道されていて、組合もその暴力的活動に対する防衛策を検討していた。ガードマンは、会社構内に組合が貼付していたビラやステッカーをはがし、これに抗議した組合員に体当たりをして突き飛ばしたりする暴力を行使した(<証拠・人証略>)。
組合員は、前日までと同様に一二月二八日も三階製版室に泊まり込んでいたが、ガードマンが増員されたため、扉の鍵穴にマッチ棒を詰めたり、セロテープを貼ったりして、錠前を固定し、また、扉の内側に机などでバリケードを築き、このため、扉の錠前が壊れた(<証拠・人証略>)。
(九) 会社は、一二月二九日午前九時、ロックアウトの宣言をし、組合員らに対し、社屋及び敷地からの退去を要求することを決めた。そして直ちに、桜田総務室長は、ヘルメットをかぶり、乱闘服まがいの制服で、ジュラルミンの盾、樫棒等を持ったガードマン二十数名を伴って組合員の前に現われ、籔執行委員長に対して、本日午前九時よりロックアウトする旨の通告書を手渡した。その後、ガードマンは組合員を強制的に本社社屋及び本社敷地内から排除した。(<証拠・人証略>)
(一〇) 組合は、一二月三〇日、会社の前日のロックアウトに抗議して三鷹駅前などでビラを配布した。このビラは、「ニセ商品作り=組合弾圧=ロックアウトに抗議してください」「教育社労働組合は市民・勤労者の皆さんに訴えます。」との見出しで、「会社側は、この闘争の間に、編集室の仕事をとりあげ、外部で、スキャッブを入れ、ストライキの空洞化をはかるという攻撃をかけてきました。しかもこの外部で作られたトレーニングペーパーは、多くのミスの含まれたものだったのです。また、会社側は、このエセトレーニングペーパー作りに協力しなかったという理由で、十人の臨時労働者をいきなり解雇するという暴挙にでました。」「私たちの労働権を奪い、外部でスキャッブを入れてミスだらけのニセ商品を作り、それを小学生から高校生の全員に送り届け、社会的責任を果たしているとシラをきる会社の態度を許すことはできないと考えています。」「それこそ、会員を侮蔑し、社会的責任を放棄した」などと記載されていた(<証拠略>)。
7 本件被解雇者らに対する解雇通告
(一) 会社は、昭和四七年一月三日付けで、本件被解雇者らに対し、就業規則五四条七号、同五六条一号、三号、七号、九号、一〇号及び一四号により解雇する旨の同一内容の解雇通告書を送付した。なお、この解雇通告書には、解雇理由となった具体的事実は明示されていなかった。
(二) 会社が本件被解雇者らの解雇理由として掲げる就業規則の規定は、次のとおりである。
五四条 懲戒は次の七種とする。
1~6 ―略―
7 懲戒解雇 解雇予告を行わないで即時解雇する。ただし、行政官庁の認定を受けないときには、労働基準法二〇条の解雇手続きによる。この場合退職金は支給しない。
五六条 会社は従業員が第五条遵守事項及び次の各号の一に該当する場合には、懲戒解雇に処する。ただし、情状により諭旨解雇にすることがある。
1 正当な理由なく、業務上の指令に従わないとき。
2 ―略―
3 故意、又は重大な過失により、会社に多大な損害を与えたとき。
4~6 ―略―
7 会社の重要な機密をもらし、又はもらそうとしたとき。
8 ―略―
9 暴行脅迫、その他これに準ずる行為をしたとき。
10 故意に業務の妨害をなし、重大な支障を起こし、又は起こそうとしたとき。
11~13 ―略―
14 その他、前各号に準ずる不都合な行為があったとき。
(三) 会社は、東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)における本件初審審査中に準備書面を提出し、その添付の一覧表において、本件被解雇者らの解雇理由となった具体的事実について、個人責任と幹部責任(三役経験者等)とに分けて、三七項目を挙げている。右一覧表の内容は、別紙命令書中の二八頁ないし三二頁の一覧表に記載のとおりである。
(四) 組合は、本件解雇後も無期限ストライキを続けるとともに、本件解雇及びロックアウトに抗議して本社門前で抗議行動をし、これを阻止しようとするガードマン(昭和四七年秋以降は警備課員)との間で激しい衝突が繰り返された。
8 本件初審命令後の労使事情
(一) 昭和五一年一月一二日、都労委は、昭和五〇年一二月一六日付けの本件初審命令書を交付した。本件初審命令の主文は、「1 被申立人株式会社教育社は、申立人籔武司、同山入端辰雄、同樫村滋、同中嶋文夫、同千葉和彦、同森彪、同三鈷照一、同吉本政夫、同宮崎昭夫、同秦尚義ら一〇名を原職もしくは原職相当職に復帰させなければならない。2 その余の申立ては棄却する。」というものであった。昭和五一年一月一二日、組合は会社に対して、同日をもってストライキを解除する旨通知した。
(二) 組合は、ストライキ解除通知後、会社に対して就労に関する団体交渉を申し入れたが、会社は、ロックアウトを解除する状況にないとして組合の申入れに応じなかった。
(三) 中労委は、会社に対して、同年三月八日付けで本件初審命令の履行勧告を行った。
(四) 会社は、組合に対して、同年五月九日、初審命令に対する不服申立てを放棄するものではないとしながら、中労委の履行勧告の趣旨に沿って、同月一二日をもってロックアウトを解除し、同日から本件被解雇者ら及び組合員を原職相当職に仮に復帰させる旨通告した。
(五) 本件被解雇者ら及び組合員は、同年六月一日以降、会社において仮に就労した。
(六) この間、本件被解雇者らは、同年一月二三日に東京地方裁判所八王子支部に対して従業員としての地位保全及び同年一月一三日以降の賃金の仮払を求める仮処分の申立てをし、同年八月六日、同支部は、組合の右申立てを認容する決定(賃金については、同年一月一三日以降五月末日分まで)をした。
(七) その後、本件被解雇者らのうち秦(昭和五一年一〇月一一日)、宮崎(昭和五三年七月七日)、中嶋(昭和五四年九月一日)、吉本(昭和五五年一月三一日)、籔(昭和五五年七月一五日)の五名は、右かっこ内の年月日に会社を退職した。
二 会社の主張<略>
三 組合らの主張<略>
第三争点に対する判断
一 本件解雇の不当労働行為該当性
1 本件解雇事由
会社は、本件被解雇者らの解雇事由について、本件紛争における個人責任と幹部責任とに分けて、本件命令中の一覧表のとおり主張するので判断する。
(一) 昭和四六年春闘における紛争に関して
(1) 五月二五日のトレペ原稿の提出命令の拒否等(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(二)認定のとおり、組合は、五月二五日、トレペ原稿の提出を求める会社の業務命令に対し、編集部門の部分ストライキで対抗するとともに組合員がその原稿を各自の机の抽出しに入れ施錠あるいは封印をしたことが認められる。
ところで、証拠(<証拠・人証略>)によれば、会社は、組合の要求に基づき五月二五日午後五時一五分から団体交渉を行なうことを予定していたが、従来は編集業務上編集担当者に対して原稿を一括して提出することを求めたことがなく、原稿提出の遅れは工程管理の打合せで製版等の時間を切り詰めて処理してきたにもかかわらず、当日午前の主任会議において、各編集担当者から手持ちの原稿全部の提出を求めることを決定し、直ちにその業務命令を発したものであり、この必要性について非組合員を含む編集室員の質問に十分な説明を行わなかったことが認められる。当時は、前記のとおり賃上げに関する団体交渉が進展せず、組合がストライキに突入することも考えられる状況であったが、会社は、団体交渉をすることを決める一方で、原稿の提出を求める業務命令について編集担当者に十分な説明を行わず、また、従前手持ち原稿を一斉に提出させたことがないにもかかわらず手持ち原稿のすべてを同日の午後五時までに提出するよう求めているのであって、このような状況のもとで、組合は、当該原稿提出命令を会社の先制的なストライキ対抗策と考え、提出期限前の午後四時四〇分から編集部門の部分ストライキで対抗し、組合員は原稿を各自の机の抽出しに入れ、施錠あるいは封印をして、提出命令に従わなかったものということができる。
このように組合員が原稿の提出を拒否したことは、業務命令違反といわざるをえず、就業規則五六条一号に該当する行為であるというべきものの、団体交渉が進展しないまま、会社が原稿提出を求める理由について十分な説明をしなかったなどの当時の状況からみて組合及び組合員を一方的に非難することは相当ではないということができる。
しかしながら、原稿を各自の机の抽出しに入れ、施錠あるいは封印等をしたことは、正当な理由なくこれらを物理的、排他的に占有して会社の業務遂行を妨害したものであり、同規則五六条一〇号に該当する行為であるというべきである。また、前記「前提となる事実」3の(五)認定のとおり、組合は、五月二六日及び二七日にも旧本社製版室及び井野ビル製版分室において非組合員の机の抽出し等に封印をしたものであって、製版室の主任が特段のトラブルもなくこれをはがして原稿を持ち出すことができたからといって、これら就業規則違反行為の責任を免れるものではないが、具体的な実行行為者を特定するに足りる証拠はない。
(2) 五月二六日から六月三日までの旧本社社屋の階段占拠(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(三)認定のとおり、組合員二十数名が五月二十六日から旧本社社屋の階段に座り込んだため、会社幹部約一〇名及び主任数名は社屋内に入ったものの、証拠(<証拠・人証略>)によれば、二階事務室に就労しようとする非組合員数名が階段で押し戻され、入室できなかったことが認められる。他方、証拠(<証拠・人証略>)によれば、同月二七日以降、ほとんどの非組合員は会社内で就労しなくなったため、組合は同月二八日から階段での座り込みを止めたことが認められる。
そうすると、組合のした階段の座り込み自体は、五月二六日から二七日の間のものに過ぎず、しかも、その初日に非組合員数名が入室できなかっただけで、会社幹部及び主任が多数入室できたことからすれば、非組合員に対しても暴力を伴った入室阻止行為があったものということはできないというべきである。したがって、これらに関与した組合員及び組合の行為が就業規則五六条九号、一〇号に該当するものということはできない。
(3) 五月二七日の非組合員に対する業務妨害(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(七)認定のとおり、組合員四、五十名が、五月二七日午前及び午後の二回、旧本社二階事務室前の廊下で会社にハンドマイクで抗議したことが認められ、会社は、ハンドマイクでどなり立てて喧騒状態にしたため電話業務その他の業務遂行が不可能になったと主張する。
証拠(<証拠・人証略>)によれば、五月二五日午前と午後の各一時間にわたり、ハンドマイクによる抗議の音量が大きいために事務室におけるトレペ会員との電話による通話に支障が生じたことが認められるが、会社が主張するように業務遂行を不可能にしたとまでは認められず、組合の行為が就業規則五六条九号、一〇号に該当するものということはできない。組合の抗議は、長時間に及び、限度を超えていると評することもできるが、前記のとおり、これらの抗議行動は、会社が深夜に業務資材を持ち出したり、また早朝に総務室勤務の非組合員を入室させたりしたことに対するものであり、ストライキ中の双方緊迫した状態の出来事であってみれば、組合のみを非難するのは当たらない。
(4) 五月二六日から六月三日までの事務室、廊下の泊込み(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(六)のとおり、組合は、五月二七日から争議解決の六月四日まで、旧本社二階事務室内と廊下に毎日七、八名の組合員を泊まり込ませ、会社の退去要求に応じなかった。このように、組合員が会社施設に泊まり込み、会社の退去通告に応じなかったことは、就業規則五六条一〇号所定の業務妨害に該当するものであり、会社の承認がなければ許されることではない。
組合は、組合員が泊込みを始めた原因は、賃上げ交渉が決裂した状況の中で会社が深夜に業務資材を社外に運び出したため、これを監視して防止するためのやむを得ない戦術であったものと主張するが、証拠(<証拠・人証略>)によれば、会社は、組合が無期限ストライキに入ったため、トレペ編集責任者が編集業務に必要な辞書類を持ち出したに過ぎず、これに対して組合は、寝具、食料を持ち込んで昼夜を問わず、二階事務室内及び廊下に泊まり込んで占拠を続けてきたものであることが認められ、これがやむを得ない措置であったということはできない。
(5) 五月二七日以降の非組合員に対する就労妨害(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(一一)のとおり、組合員が非組合員である主任の自宅に電話をかけたり訪問したことは事実であるが、会社は、組合員が非組合員の自宅前に張り込み、又は待ち伏せし、外出につきまとうなどいやがらせをして非組合員の就労を妨害したと主張する。証拠(<証拠・人証略>)によれば、組合は、組合員に対し、しばしば、非組合員の自宅前に張り込み、尾行して臨時に会社業務を実施している主任の自宅に押し掛けたことが認められるが、これはストライキ中に会社が主任の自宅等で業務をとったため、ストライキを妨害しないよう主任に要請したものであると認められる。その態様においていささか度を過ぎたものがあるというべきではあるが、会社の業務を積極的に妨害したとすることはできず、これらが就業規則五六条九号、一〇号所定の懲戒解雇事由に該当するものであると認めることはできないというべきであって、会社の主張は採用できない。
(6) 五月二七日、六月一日の外注業者に対する業務妨害(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(四)(九)(一〇)のとおり、五月二六日及び同月二七日に丸和運送が、六月一日には大一製本及び中央美術が、会社の印刷物等の搬出作業をあきらめ、又は阻止された事実があるが、会社は、これらは組合による積極的業務妨害行為であると主張するので以下に判断するに、証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。
丸和運送、大一製本及び中央美術は、昭和四四年頃から会社と継続取引関係にある会社であるが、いずれも資本的にも人的にも会社と関係はなかった。組合は、五月二六日と二七日の各午前に、丸和運送のトラックが刷本を本社社屋一階の印刷工場から製本下請会社の大一製本に運搬しようとする際、山入端副執行委員長、樫村執行委員、千葉執行委員、三鈷執行委員長及び宮崎執行委員を含む多数組合員らがトラックにしがみついたり、トラックの前後に座り込んだり、寝そべったりして、トラックの運行を妨害して停止させた。丸和運送の従業員は、これに対して組合に抗議し、組合員らと口論になった。また、組合員らは、六月一日の午後には、丸和運送が中央美術で印刷した刷本を大一製本へ運搬すべくトラックに積載し終わったところ、トラックを取り囲んで進行を阻止し、そのために運転手と口論となり、運転台と荷台に乗り込み、運転を取りやめさせ、荷物を降ろさせ、刷本の運搬をさせなかった。
右事実によれば、組合員が大一製本のトラックの運転手に暴行を加えたという会社主張の事実は認められないが、組合員が丸和運送や大一製本のトラックのまわりに寝そべったり、運転席に乗り込むなどして印刷物等の搬出を実力をもって妨げたものというべきであって、この点については争議中の組合活動としても行き過ぎであり、就業規則五六条一〇号に該当するといわざるをえない。
(7) 五月二七日の社長ら会社幹部に対する業務妨害(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(九)のとおり、五月二七日深夜、社長ら会社幹部が刷り上がった教育ノートを持ち出そうとしたところ、組合員がこれに抗議したため、社外への搬出を断念したことが認められるが、これは、組合の抗議により会社が印刷物の搬出を断念したものであって、組合が実力をもって搬出を阻止したものと認めるべき証拠はない。したがって、これをもって就業規則五六条一〇号所定の業務妨害行為があったということで(ママ)きない。
(8) 五月二七日の三協マンションの鍵の詐取(幹部責任)
前記「前提となる事実」3の(八)のとおり、三協マンション分室勤務の一女子組合員が会社に無断で管理人から同室の鍵を借り受け、会社の返還請求により、組合がこの鍵を返還した事実があり、証拠(<証拠・人証略>)によれば、森書記長は会社からの質問に対して鍵の持出しが組合の指示に基づくものであると答えたことが認められるが、同所を占拠する意図を秘して借り受けたことを認めるに足りる証拠はなく、また、組合が会社の求めに応じて直ちに鍵を返還したことにより、会社に格別の支障が生じなかったことが容易に推認することができる。
(二) 組合事務所の移転・設置をめぐる紛争に関して(個人責任、幹部責任)
(1) 前記「前提となる事実」4の(四)(五)(七)のとおり、組合は、労使間において合意がないにもかかわらず、九月九日以降一〇月二二日までの間、会社の退去要求を無視して旧組合事務所を占拠し続けたこと、九月二〇日、現本社敷地内に約一三平方メートルの組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、また、同日、井野ビル内の廊下に脇机一個を置いて仮組合事務所の標札を掲げたことが認められる。このように、労使間において合意がないにもかかわらず組合事務所を自ら会社の建物ないし敷地内に設置することは、許されるものではない。
しかしながら、組合事務所の設置については、前記「前提となる事実」2の(二)のとおり、会社は、組合事務所を貸与するに際して、三菱銀行ビルの八階を賃借してそこに本社を移転する予定であって、移転後の組合事務所の設置場所等の詳細についてはその時点で改めて決定することとなっていたのであるから、会社は、本社を三菱銀行ビルに移転する場合には、同ビル内に従前と同程度の広さの組合事務所を設ける意向を組合に示しており、組合もこれを当然として受けとめていたのであって、移転先の如何にかかわらず旧本社内の組合事務所に代替する組合事務所を供与する合意が成立したことが認められる。ところが会社は、三菱銀行ビルへの移転を取りやめて現本社に移転することになった後、前記「前提となる事実」4の(四)のとおり、団体交渉において、現本社社屋内には組合事務所を設置するスペースがない、現本社の敷地は担保に入っているなどの理由を述べて組合の要求を拒否しているのであって、会社内に旧組合事務所程度の広さの場所を割愛、供与することができないことについて組合に十分な説明を行ったものとはいいがたい。
他方、前記「前提となる事実」4の(四)(七)のとおり、会社は、外部に組合事務所を供与することを提案し、また、井野ビル内に組合事務所を供与することも承諾したのであって、組合にとっては不満足ながらも、会社としてそれなりの対応をしているのであるから、旧本社社屋内の取壊しが組合事務所を残すのみの状況のもとにおいて、労使間で組合事務所供与の合意が成立していないにもかかわらず、現本社敷地内及び井野ビル内に組合事務所を強引に設置し、一〇月二二日まで旧組合事務所の明渡しをしなかったことは、許されないものというべきである。
(2) そこで、会社は組合のこれらの行動が就業規則五六条三号、九号、一〇号、一四号に該当すると主張するので検討するに、組合が労使間で組合事務所供与の合意が成立していないにもかかわらず、本社敷地内及び井野ビル内に組合事務所を強引に設置し、旧組合事務所の明渡しをしなかったのは、性急に過ぎており、かつ、行き過ぎであって、会社の主張する各就業規則の違反があったといわざるを得ないが(もっとも、<証拠・人証略>によれば、組合は、旧組合事務所を明け渡すべき判決が確定した後も、任意の履行をしなかったため、会社は、強制執行を断行したが、旧組合事務所の明渡しが遅れたことにより、会社が地主に損害金として六万円を支払ったことが認められる。)、もともと組合の右各行動は、労使間の対立が深まる中で会社が従来の合意を無視して社屋内に組合事務所を認めないという態度に出たことに端を発したものであり、また、会社の業務場所が現本社と井野ビルに二分された結果、組合の維持活動の便宜のため、現本社内に組合事務所を必要とするに至った事情等に鑑みれば、組合だけを一方的に非難するのは当たらないというべきである。
(三) トレペ編集業務をめぐる紛争に関して
(1) 荻窪ビル内での編集業務の妨害(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」5の(二)(三)のとおり、一〇月一三日、一四日及び二〇日に組合員十数人が荻窪ビルに赴き、室内の窓や壁にビラを貼付し、また、鍵を使用困難にしたこと、同月一四日に組合員らと松田営業室長とが押し合いとなった際、扉のガラスが破損したこと、一〇月二〇日、宮崎執行委員が社長執筆にかかる原稿を強引に持ち去ったことが認められ、これらが少なからず会社の業務に支障を来し、また、会社に損害を与えたものであり、組合活動として行き過ぎであったことは否定できず、これらが一応就業規則五六条三号、九号、一〇号、一四号所定の懲戒解雇事由に該当するということができる。
しかしながら、このような組合の行動は、前記認定のとおり、会社が組合事務所の移転・設置をめぐる紛争によってトレペ編集業務が著しく遅れたため、組合員を除外する形で各主任が責任を持って業務を行う態勢を整え、主任が井野ビルの編集室を避けて荻窪ビルや各人の自宅でアルバイトを使用して編集業務を続けたことに対し、それに抗議するためのものであり、組合事務所の移転・設置についての会社の対応が必ずしも労使間の合意に基づくものではなかったにもかかわらず、紛争解決の遅延が組合の一方的な責任であるかのような業務態勢をとったことに問題があり、組合の行動が過激に走った点には会社にも反省すべきものがあるというべきであり、また、組合の行動が会社業務に従事する責任者やアルバイトに対して暴行脅迫をもって業務を停止させるものではなかったうえ、社長執筆にかかる原稿についても理由を告げて持ち帰ったものであり、同日中には返還されているのであるから、その評価においては、これらの事情を斟酌すべきであると考えられる。
(2) 原稿提出命令の拒否(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」5の(五)のとおり、組合員が会社の手持ち原稿提出の業務命令を拒否したことは、就業規則五六条一号に該当するものというべきであるが、証拠(<証拠略>)によれば、非組合員を含むトレペ編集室員全員二六名からも、一一月一〇日付、一一月一七日付及び一一月二九日付各書面をもって社長に対し、「一一月以降発行されるトレーニングペーパーその他当社刊行物用の原稿、写真、イラスト等の類で編集室の保有しているものがあれば提出せよとの指示がありましたが、指示の理由が不明です。この指示は、一つには私たち編集室員の当然の業務を奪うものであり、さらには不当労働行為の疑いもあるものなので、編集室員全員に対し、社長みずからが正当な理由を説明されるよう要請します。」との要望を出したが、社長はこれらに答えることなく提出を求め続けたことが認められる。
以上の事実関係のもとにおいては、会社は、編集業務から組合員を除外する態勢を整える一方で、組合員に業務の変更と原稿の提出を求め、非組合員を含めたトレペ編集室員全員から連名の文書によって説明を求められたが、組合員に対して業務命令の理由を説明する必要はないとするなどの態度で臨んでいたのであって、会社には、編集業務から組合員を排除する態勢をとり、予想される組合のストライキに対して先制的措置を講じていたものというほかなく、事態を円満に解決する努力をすることよりも、組合が会社の業務方針に全面的に従うことを命令し続けたものであって、組合員及び非組合員を含むトレペ編集室員全員に対する説明が不十分であったということができる。したがって、組合員が会社の原稿提出命令に応じなかったことをもって、組合員を一方的に非難するのは当たらない。なお、会社は、組合員が会社の手持ち原稿を提出すべきとの業務命令を拒否した結果、原稿の再執筆を余儀なくされて損害を被ったと主張し、証拠(<証拠略>)にはこれに沿う記載があるが、右原稿提出命令拒否との因果関係及び損害の内容が明らかではない。
(四) 昭和四六年末の組合要求をめぐる紛争に関して
(1) 本社社屋の階段、通路の占拠(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」6の(二)(三)のとおり、一二月一七日組合は朝から本社社屋の二階に通じる階段に座り込み、「就労の意思あり」と書いた紙を手にした主任三名が組合員の説得を振り切って階段を数段駆け上がったが、それ以上は組合員を排除しなければ上がることができなかったこと、同日、社長に率いられた非組合員三、四十名が組合員と押問答をしたが入室しなかったこと、また、一二月一八日には会社がトラックを利用して窓から非組合員を入室させようとしたが組合員のスクラムで阻止されて果たせなかったこと、組合が同日以降大一製本の正門付近において正門を無断で閉鎖して会社従業員の出入り等の監視をしたことが認められ、この点について、会社は、組合の行動が、非組合員の就労を実力をもって阻止し、また、大一製本の業務を妨害したと主張するので判断する。
組合及び組合員は、会社が組合のストライキに対抗して自ら実行しようとする業務遂行行為に対し、平和的な説得の範囲を超える有形力を伴って会社の自由意思を抑圧することは許されないものというべきであるが、この観点から組合の行為を検討すると、まず、一二月一七日の階段座り込みにおいては、ピケの間を縫って社長以下会社幹部、電話交換手、経理・総務担当の職員が入室しており、主任三名が入室できなかったのは同人らが「就労の意思あり」と書いた紙を手に持って組合員による説得は無用であるとの態度で強引に入室しようとしたことが組合を刺激したことを否定できず、また、ピケを張った組合員もことさら物理的に有形力を行使して右主任らの入室を阻止したものとはいいがたい。また、同日、社長に率いられた非組合員が入室しなかったのは組合員と押問答の末に入室を断念したものであるが、これが組合員の説得を受け入れたものかどうかは別として、少なくとも組合員の違法な物理的有形力の行使によるものと認めるに足る証拠はない。さらに、一二月一八日においても会社が非組合員を窓から入室させようとして組合員に気付かれ、引き返しているのであるが、これらの事実をもって組合が実力をもって非組合員の入室を阻止したものとまでは認められない。
しかしながら、他方、会社施設内を占拠する争議行為は、会社が受忍すべき限度を超えていないと認められる特段の事情がない限り、業務施設に対する支配を阻止するものであって施設管理権を侵害する違法行為であるというべきであるから、組合が一二月一七日及び一八日に階段を占拠し非組合員の就労を阻止したことは、いずれも午前中三時間に及ぶ受忍限度を超えたものであり、ピケの態様に行き過ぎがなかったとしても、施設管理権を違法に侵害するものであるといわざるを得ず、これらの行為が就業規則五六条三号、九号、一〇号所定の懲戒解雇事由に該当するというべきである。また、同日以降大一製本の正門を無断で閉鎖したうえ会社従業員の出入り等の監視のためにピケを張ったことは、会社の取引先の業務施設を積極的かつ実力をもって支配したものであり、かつ、証拠(<証拠・人証略>)によれば、組合の行為によって大一製本の従業員及び取引関係者が同社の社屋内に入ることを著しく困難にしたことが認められ、大一製本の業務を違法に妨害したものといわざるを得ず、これが行為が就業規則五六条九号、一〇号、一四号所定の懲戒解雇事由に該当することは否定できない。
(2) 一二月二〇日以降の本社三階製版室での泊込み、占拠(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」6の(四)のとおり、組合は一二月二〇日以降同月二九日まで、会社の退去要求を無視して、本社三階製版室に泊込みを続け、電話、暖房器を無断使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して無断で電源を入れたこと、会社敷地内と大一製本正門前公道上など数か所で焚火をしたことが認められる。
このような会社施設内を占拠する組合の争議行為は、会社が受忍すべき限度を超えており、業務施設に対する支配を阻止するものであって施設管理権を侵害する違法なものであるというべきであって、これらの行為が就業規則五六条三号、九号、一〇号、一四号所定の懲戒解雇事由に該当するということができる。組合が泊込みを始めた原因の一端には、会社が本社社屋から製版、トレペ会員事務に関する資材等を社外に移動させ、本社社屋には印刷業務に従事する非組合員のみを配置していたに過ぎず、製版室での業務をしていなかったことによるものであって、以後の資材の持出しを監視し、これに抗議する目的と、夜勤の印刷業務に従事している非組合員に対する説得活動を強化する目的で実行されたことがうかがわれ、その態様においても、会社の職制が本社社屋一階の印刷工場内に泊まり込み、製版室にも出入りすることができたことからみて、会社の管理を全面的に排除したとまでは認められないが、組合の行為には少なからず行き過ぎが見受けられることは明らかである。
なお、前記「前提となる事実」6の(四)のとおり、一二月二一日に社長が原稿等を持ち出そうとしたところ籔執行委員長ら組合員に呼びとめられ、これを断念したことがあるが、これをもって会社が主張するように組合員らが脅迫ないし暴行を伴った実力をもって業務妨害行為をしたものとまでは認められない。
(3) 一二月二四日以降の印刷物搬送通路の占拠等(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」6の(六)(七)のとおり、一二月二四日、会社が搬送通路に設置していた有刺鉄線の柵の一部を組合員らが取り払って同搬送通路に座り込み、スクラムを組んで夜勤の非組合員である印刷従業員六、七名の入社を阻んだこと、同日深夜に社長が社屋正門から入ろうとしたところ鉈を持っていた三鈷に呼びとめられ、その状況に驚かされたこと、同月二五日、会社が柵を修繕し塀を作ったところを組合が再びその一部を破って同搬送通路に座り込んだこと、また、同月二七日、柿沼工場長らが大一製本の正門から印刷物を搬出しようとした際、これを阻止しようとした組合員ともみあいになり、柿沼工場長が再三転倒したこと、大一製本の社長に対して組合員の一部が不穏当な発言をしたことが認められる。
これらの事実中、社長に対する行為については、会社が主張するように組合員らが脅迫ないし暴行を伴った実力をもって業務妨害行為をしたものとまでは認められないし(三鈷が鉈を焚火の薪を割るために所持していたものか、有刺鉄線の柵を取り払うために所持していたものかなどは、明らかとならない)、また、工場長を再三転倒に至らせた行為は、単なる偶然の結果とはいいがたいが、これに直接関与した組合員を特定することはできず、組合がその結果を指示したことを認めることもできない。大一製本の社長に対する不穏当な発言は、同人に対する脅迫行為であるとみることもできるが、本件被解雇者らの発言であると認めうる証拠はなく、組合の指示に基づくと断ずる証拠もない(なお、一二月二四日及び二五日の搬送通路における占拠等について籔、中嶋及び森が実行行為をしたと認めるに足る明確な証拠はない)。
しかしながら、有刺鉄線の柵の一部を反復して撤去し、搬送通路に座り込んで印刷従業員の入社を多数がスクラムを組んで阻んだことは、会社が組合のストライキに対抗して自ら実行しようとする業務遂行行為に対し、平和的な説得の範囲を超える有形力を伴って会社の自由意思を抑圧するものであり、また、業務施設に対する支配、管理権を侵害する違法なものであって、その期間、態様に鑑みると、会社の受忍限度を超えたものというほかなく、許されないものというべく、就業規則五六条三号、九号、一〇号所定の懲戒解雇事由に該当するものというべきである。
このように、組合の各種の行動には実力をもって会社の業務を阻止しようとした点が多々あり、その点は行き過ぎであるといわざるをえないが、他面、会社の通路の確保とはいえ、組合を刺激する有刺鉄線の柵を補強するなど組合員の反発を誘う挙に出たことは否めない。
(4) バリケードによる三階製版室の占拠強化等(個人責任、幹部責任)
前記「前提となる事実」6の(八)のとおり、一二月二八日、組合は、本社三階製版室の扉の内側にバリケードを築いたこと、その際に扉の錠前を故意に壊したことが認められる。
このように会社施設を占拠し、会社の管理支配権を排他的に侵害する組合の行為は、それが一部分に過ぎないものであったからといって、会社が受忍すべき理由はなく、許されないものであって、就業規則五六条三号、九号、一〇号所定の懲戒解雇事由に当たるというべきである。
もっとも、会社が組合の右行為の前日である一二月二七日に導入した特防のガードマンは、労働争議に暴力的に介入し、労働者を実力をもって強制的に排除する活動をしていることが公知になっており、その人数がさらに増員されたことに対し、組合にとっても組織の防衛のための対抗的手段であった面が強いと認められる。
(5) ビラ配布(幹部責任)
前記「前提となる事実」6の(一〇)のとおり、組合はロックアウトに抗議して三鷹駅前などでビラを配布したが、このビラには、会社がミスだらけのニセ商品であるトレペを作り、会員を侮辱し、社会的責任を放棄した、会社には未収金が九〇〇〇万円あるなどと記載されていることが認められる。
証拠(<証拠・人証略>)によれば、組合がこのようなビラを配布したのは、組合が、会社の非組合員による会社外での編集作業を続けるとミスだらけのトレペができあがることを地域住民、トレペ会員に訴えることを目的とし、その前日に組合員が会社に依頼されたガードマンによって強引に排除されたことに抗議するためのものであり、トレペ会員に直接ハガキで同旨を訴える手段をとったことが認められるが、ビラの文言の一部には不穏当のそしりを免れないところがあり、また、トレペ会員に訴える方法において相当でないということができ、さらに、会社に未収金が九〇〇〇万円あることは、当時の団体交渉の席上で桜田総務室長が会社の窮状を組合に理解させる目的で外部に公表しない約束で組合に開示したことであり、会社は、組合のしたビラ配布によって少なからず有形、無形の損害を被ったことがうかがえる(<証拠略>)。したがって、組合のビラ配布行為は、就業規則五六条三号、七号に該当するものであることは否定できない。
しかしながら、労働者が就業時間外に職場外で配布したビラによって会社の円滑な運営に支障を来す場合であっても、その内容が会社の経営政策や業務等に関し事実に反する記載をし又は事実を誇張して記載したものでない限り、そのビラの配布行為をもって労働者を懲戒することは許されないというべきである。証拠(<証拠・人証略>)によれば、ビラの文言によって訴えているトレペにミスが多いこと、会社に未収金が九〇〇〇万円あることは真実であり、社長も当時これを認めていたことも明らかであり、また、未収金の存在は、金額は別として、すでに全社的に明らかとなっており、その督促に力を入れていたのであり、団体交渉の席上で具体的な金額が開示されたものであって、組合の約束がない以上、会社の窮状を明らかにする必要がないとはいえないのであるから、このような諸般の事情を考慮すれば、ビラの配布について組合員のみを一方的に厳しく非難するのは酷であるというべきである。
2 不当労働行為の成否
(一) 会社が本件解雇事由として主張した事実のうち、被解雇者に就業規則五六条各号に該当する行為があったと認められることは、右1に判示したとおりである。すなわち(かっこ内は、就業規則五六条の該当号を示す)、
(1) 昭和四六年春闘をめぐる紛争に関しては、五月二五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと(一号)、同月二七日に非組合員の机の抽出し等に封印したこと(一〇号)、同日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと(一〇号)、五月二六、二七日及び六月一日に丸和運送、中央美術印刷及び大一製本の業務を妨害したこと(一〇号)が認められる。
(2) 組合事務所移転・設置をめぐる紛争に関しては、九月一二日から一〇月二二日まで旧組合事務所を占拠したこと(三号、一〇号、一四号)、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと(三号、九号、一〇号、一四号)、同日に井野ビル内の廊下に脇机一個を置いて仮組合事務所として占拠したこと(一〇号、一四号)が認められる。
(3) トレペ編集業務をめぐる紛争に関しては、一〇月一三日、同月一四日及び同月二〇日に荻窪分室に多数で押し掛け、分室内の窓や壁にビラを貼付し、また、鍵を使用困難にしたこと(三号、九号、一〇号)、同月一四日、荻窪分室内の扉のガラスを破損したこと(三号、九号、一〇号、一四号)、同月二〇日に社長執筆にかかる原稿を持ち去ったこと(一〇号、一四号)、一一月九日、一五日及び二六日にトレペ原稿の提出を拒否したこと(一号)が認められる。
(4) 昭和四六年末の組合要求をめぐる紛争に関しては、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと(三号、九号、一〇号)、同日以降大一製本の正門を無断で閉鎖したうえ会社従業員の出入り等の監視のためにピケを張って業務を妨害したこと(九号、一〇号、一四号)、一二月二〇日から同月二八日までの間に、本社三階製版室に泊まり込み、無断で、電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したり、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたりし、また、会社敷地内と大一製本正門前公道上など数か所で焚火をしたこと(三号、九号、一〇号、一四号)、同月二四日、搬送通路に設置していた有刺鉄線の柵の一部を取り払って座り込み、スクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと(三号、九号、一〇号)、同月二五日、会社が柵を修繕し塀を作ったところを再びその一部を破って同搬送通路に座り込んだこと(三号、九号、一〇号)、会社がミスだらけのニセ商品であるトレペを作ったなどと記載したビラを配布したこと(三号、七号)が認められる。
(二) 本件被解雇者らの懲戒解雇事由として認められる右事実の中には、組合活動としても行き過ぎであるといわざるをえないものがあることは、前記認定判断のとおりである。しかしながら、本件解雇に至る経緯をみると、本件解雇の効力を検討するに当たって考慮しなければならない次の事情がある。
(1) 会社は、昭和四六年春闘における紛争について、六月四日に一応の結着をみているにもかかわらず争議解決の七か月後にこれを本件解雇の一理由に挙げているが、この点について、会社は、春闘時の違法行為は消えるものではなく、これを不問にするとの合意が成立したわけでもないところ、春闘以後、次々と紛争が連続生起し、この対応に追われたまま、一二月末に本件解雇をせざるを得ない事態に至ったと主張する。
しかしながら、証拠(<証拠・人証略>)によれば、組合は春闘妥結に当たり、会社に対し、春闘期間中の組合の行為に関しては一切責任を負わない旨の免責協定の締結を文書ですることを求めたが、会社がこれを拒否したため、あえてそれ以上の要求をせず、立ち上がり資金を支給する合意を文書化しなかったことと同じ扱いにすることを承知したのであって、当時会社は、三菱銀行ビルに本社を移転する計画を立てていたため、労使間で争議問題があったことを公表するのを避けるべき状況にあったこと、組合は、春闘妥結直前の組合集会において、右免責協定を締結することを報告し、組合員の了承を得たこと、社長は、春闘妥結当時、会社幹部間に春闘後に処分者は出さないでいこうとする意見が強かったため、その方針をとる意思であったことが認められ、その後、本件解雇に至るまでの間、春闘責任を追及する時間的余裕がなかったものとはいいがたいことを合わせ鑑みると、会社と組合との間で、春闘期間中の組合の行為に関しては責任を追及しない旨の合意が成立したものということができ、仮にそのような明確な合意に至らなかったとしても、少なくとも当時、会社は、今後ともこれに関して責任追及をしない意思であったことを認めることができる。
(2) 証拠(<証拠・人証略>)によれば、昭和四六年春闘が妥結した後、組合事務所移転・設置をめぐる紛争中に、以下の事実が認められる。
組合は、八月二〇日の組合大会で当時コンピューター室に勤務していた組合員横川を執行委員に選出したところ、橋本コンピューター室長は、社長の意を受けて、同月二四日、横川に対し、「当室で執行委員になったものがいるか」と詰問し、同人が名乗りを上げると、翌二五日に桜田総務室長が「執行委員になったのか」と問いただした。そして橋本コンピューター室長は、同月二六日、夏休みで実家に帰郷していた横川に電話をして、当室に勤務するものが組合の執行委員をするのはよくない旨を伝え、横川が個人の問題ではないから九月二日に出社して話しをしたいと答えると、同室長はそんなことであるならば君が帰ってくるまでにはどうなっているか分からない旨を述べ、執行委員をやめないならば配転することを暗に示し、さらに、同月二七日にも右実家に確認の電話をし、横川は、やむなく「辞めると伝えてくれ」といわざるを得なかった。九月二日に出社した横川は、この辞任強要が社長の指示でなされたことを知り、この間の経緯を組合に報告した。組合は、同月八日、会社に対して事実関係を追及したところ、会社は、一〇月一六日、組合に対し、橋本コンピューター室長の右行為について、不当労働行為と解釈されてもやむを得ないような結果を招いたことは大変遺憾であり、今後このようなことのないよう関係者一同が万全の注意を払う旨を記載した社長名義の謝罪文を交付した。
(3) 組合事務所の移転・設置をめぐる紛争に関しては、会社内に組合事務所を供与するかどうかは、会社と組合との合意によって定められるべきものであるが、会社は、組合事務所を貸与するに際して、本社を三菱銀行ビルの八階を賃借して移転する予定であって、移転後の組合事務所の設置場所等の詳細についてはその時点で改めて決定することとなっていたものの、移転先の如何にかかわらず旧本社内の組合事務所に代替する組合事務所を供与する合意があったのであるから、その後の団体交渉において、本社内に旧組合事務所程度の広さの場所を割愛、供与することができないことについて組合に十分な説明をしなかったことは、組合に対して会社が組合を嫌悪しているとの不信の念を抱かせる原因となったものであるということができ、組合を強行手段に走らせた一半の事由となっているといわざるをえず、このような会社の態度が組合事務所をめぐる紛争の拡大につながったものであるというべきである。そして、右紛争中に組合のした本社敷地内での組合事務所建築については、証拠(<証拠・人証略>)によれば、樫村は右建築行為を実行しておらず、また、その他の本件被解雇者ら以外にもこれに積極的な役割を担った組合員が数名いることが具体的に知られているにもかかわらず、本件被解雇者らの行為のみが特に懲戒解雇事由に当たる理由を明らかにすることができないことが認められる。
(4) トレペ編集業務をめぐる紛争に関しては、前記認定のとおり、組合事務所の移転・設置についての会社の対応が必ずしも労使間の合意に基づくものではなかったにもかかわらず、紛争解決の遅延が組合の一方的な責任であるかのような業務態勢をとったことに問題があり、組合の行動が過激に走った点には会社も反省すべきものがあるというべきであり、特に、組合員が会社の手持ち原稿提出の業務命令を拒否した点については、会社は、非組合員を含めたトレペ編集室員全員から連名の文書によって説明を求められたにもかかわらず、従業員に対して業務命令の理由を説明する必要はないとするなどの態度で臨んでいたのであって、組合員及び非組合員を含むトレペ編集室員全員に対する説明が不十分であったことが右のような組合の態度を招いたものといわざるをえない。
(5) 昭和四六年末の組合要求をめぐる紛争に関しては、会社は、印刷工場の非組合員に年末一時金〇・五か月分に貸付金名目の金員を加算して支払いながら、組合には、一時金〇・五か月分以上の支給に応じない旨表明しており、また、業務の遂行を急ぐあまり組合員を除外し、会社外で業務を実施するなど、事態の円満な解決が図られず、対決姿勢を固定し、さらに、会社が導入したガードマンが労働者を実力をもって強制的に排除しようとしたことも、組合組織防衛のための対抗的手段として組合側の行き過ぎた行為を誘発した面があったということができる。
(6) 証拠(<証拠・人証略>)によれば、会社が本件解雇をすることに決したことについては、社長は、組合が三鷹駅前などで配布したビラに、会社がミスだらけのニセ商品であるトレペを作り、会員を侮辱し、社会的責任を放棄した、会社には未収金が九〇〇〇万円ある等と記載されていたことについて、会社の信用失墜、企業秘密の漏洩が許容しがたいものと認め、これをきっかけに組合ないし組合員の昭和四六年春闘以来の違法行為に対し解雇をもって望(ママ)むことを検討することとし、昭和四七年一月二日、十数名の会社幹部を招集して、責任者会議を開いたこと、その協議の結果、会社は、組合の幹部責任を重視し、組合における地位の軽重、すなわち三役経験者、執行委員を数期務めた者、組合結成当初からの中心的活動家の責任を追及することとし、一四名挙げられた解雇候補者の中から、具体的な行為について個人責任があっても幹部責任が薄い者は責任の対象者から除外するとの方針のもとに、本件被解雇者らを除く四名を解雇候補者から除外したが、本件被解雇者らのうち、千葉執行委員及び秦は組合結成以前から中心的活動家で、組合結成当初の執行委員であり、宮崎は組合結成後に入社した中心的活動家で、組合事務所の移転・設置をめぐる紛争当時の執行委員であって、また、その余の本件被解雇者らは組合三役経験者であったこと、以上の事実が認められる。
しかしながら、本件解雇の動機となった本件ビラ配布については、籔執行委員長、山入端副執行委員長及び樫村書記長のみが当時の組合三役として責任を問われているが、前記のとおり、その文言によって訴えているトレペにミスが多いこと、会社に未収金が九〇〇〇万円あることは真実であり、社長も当時これを認めていたことも明らかであり、また、未収金の存在は団体交渉の席上で開示されたものであるが、組合の要求に基づくものではなかったのであり、ビラの配布について組合員のみを一方的に厳しく非難するのは酷であるという事情があった。また、組合の三役及び中心的活動家が組合員の組合活動における行き過ぎの行為について負うべき幹部責任は、単にそのような地位にあることから当然に発生する理由はなく、それらの幹部がそのような行き過ぎた行為を指示又は容認し、あるいは、その発生を予測し得たにもかかわらず、それを防止する適切な措置をとらなかった等の事情がある場合に限って成立するものというべきであるが、本件解雇に当たり、各解雇事由に関して本件被解雇者ら各自につき、会社が予めそのような事情の有無を検討したことをうかがうに足る証拠はない。
(7) 本件被解雇者ら各自の解雇事由についてみると、前記「前提となる事実」7の(一)(三)及び証拠(<証拠略>)によれば、会社は、昭和四七年一月三日付けで、本件被解雇者らに対し、就業規則五四条七号、同五六条一号、三号、七号、九号、一〇号及び一四号により解雇する旨の同一内容の解雇通告書を送付したが、都労委における本件初審審査中に同年六月二一日付の準備書面を提出し、その添付の一覧表において、本件被解雇者らの解雇理由となった具体的事実及びこれについての就業規則該当条項を明示したこと、しかしながら、右事実中、その就業規則違反事実が認められるのは、前記認定判断の限度に過ぎず、本件被解雇者らを個別にみると、以下のとおりである。
(籔) 五月二五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、同月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠して非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二一日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、昭和四六年末の組合要求に関する紛争中、執行委員の地位にあったこと
(山入端) 五月二五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、同月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、五月二七日に会社の外注業者の業務を妨害したこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二一日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、同月二四日にスクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと、同日及び二五日に搬送通路に座り込み、印刷物搬送通路を占拠し、有刺鉄線の柵の一部を取り払ったこと、昭和四六年春闘に関する紛争及び昭和四六年末の組合要求に関する紛争中、副執行委員長の地位にあったこと
(樫村) 五月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、五月二七日に外注業者の業務を妨害したこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二一日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、同月二四日にスクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと、同日に搬送通路に座り込み、印刷物搬送通路を占拠し、有刺鉄線の柵の一部を取り払ったこと、昭和四六年末の組合要求に関する紛争中、書記長の地位にあったこと
(中嶋) 五月二五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、同月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一一月九日及び一五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠して非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二一日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、組合事務所の移転・設置に関する紛争及びトレペ編集業務に関する紛争中、書記長の地位にあったこと
(千葉) 五月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、五月二七日に会社の外注業者の業務を妨害したこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二〇日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、同月二四日にスクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと、同日及び二五日に搬送通路に座り込み、印刷物搬送通路を占拠し、有刺鉄線の柵の一部を取り払ったこと
(森) 五月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一〇月二〇日に荻窪分室に多数で押し掛けたこと、一一月九日及び一五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二一日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、昭和四六年春闘に関する紛争中、書記長の地位にあったこと
(三鈷) 五月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一〇月一三及び一四日に荻窪分室に多数で押し掛け、分室内の窓や壁にビラを貼付し、また、鍵を使用困難にし、扉のガラスを破損したこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二〇日から本社三階製版室に泊り込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、同月二四日にスクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと、同日に搬送通路に設置していた有刺鉄線の柵の一部を再三取り払って座り込み、印刷物搬送通路を占拠したこと、昭和四六年春闘に関する紛争、組合事務所の移転・設置に関する紛争及びトレペ編集業務に関する紛争中、執行委員長の地位にあったこと
(吉本) 五月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、五月二七日に会社の外注業者の業務を妨害したこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一〇月一三日、同月一四日及び同月二〇日に荻窪分室に多数で押し掛け、分室内の窓や壁にビラを貼付し、また、鍵を使用困難にし、扉のガラスを破損したこと、一一月九日及び一五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二一日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、同月二四日にスクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと、同日に搬送通路に座り込み、印刷物搬送通路を占拠したこと、組合事務所の移転・設置に関する紛争及びトレペ編集業務に関する紛争中、副執行委員長の地位にあったこと
(宮崎) 五月二五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、同月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、五月二七日に会社の外注業者の業務を妨害したこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一〇月一三日、同月一四日及び同月二〇日に荻窪分室に多数で押し掛け、分室内の窓や壁にビラを貼付し、また、鍵を使用困難にし、扉のガラスを破損したこと、一一月九日及び一五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二一日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、同月二四日にスクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと、同日に搬送通路に座り込み、印刷物搬送通路を占拠したこと
(秦) 五月二五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、同月二七日から六月三日まで事務室等に泊まり込んだこと、九月二〇日に本社敷地内に組合事務所を建築し、会社の撤去要求に応じなかったこと、一〇月一三日に荻窪分室に多数で押し掛け、分室内の窓や壁にビラを貼付したこと、一一月九日及び一五日にトレペ原稿の提出を拒否したこと、一二月一七日及び一八日に本社社屋の階段等を占拠し、非組合員の就労を阻止したこと、同日以降大一製本の正門でピケを張って業務を妨害したこと、同月二〇日から本社三階製版室に泊まり込み、無断で電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用したこと、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れたこと、会社敷地内等で焚火をしたこと、同月二四日にスクラムを組んで非組合員の入社を阻んだこと、同日に搬送通路に座り込み、印刷物搬送通路を占拠したこと
(三) 右(一)(二)のとおり、本件解雇に至る経緯に鑑みると、会社は、旧本社内の組合事務所に代替する組合事務所を供与する合意があったにもかかわらず、その後の団体交渉において、本社社屋内に旧組合事務所程度の広さの場所を割愛、供与することができないことについて組合に十分な説明をしなかったこと、その間に、横川執行委員に対する橋本コンピューター室長の辞任強要が会社の不当労働行為であると解釈されてもやむを得ないようなものであったこと、会社は、組合事務所の移転・設置についての会社の対応が必ずしも労使間の合意に沿うものではなかったにもかかわらず、紛争解決の遅延が組合の一方的な責任であるかのような業務態勢をとったこと、昭和四六年末の組合要求をめぐって、会社は、印刷工場の非組合員に年末一時金に貸付金名目の金員を加算して支払いながら、組合には一時金以上の支給に応ぜず、また、業務の遂行を急ぐあまり組合との話合いを十分しないまま組合員を除外して会社外で業務を行うなど、事態の円満な解決が図られず、対決姿勢を固定し、さらに、会社が導入したガードマンが組合員を実力で強制的に排除しようとしたこと、以上のような会社の態度が組合を強行手段に走らせた一半の事由となっているといわざるをえず、このような事情が紛争の拡大につながったものであるということができる。
そして、本件解雇は、解雇通告書に具体的事実の記載はなく、また、就業規則の適用条項が解雇通告書と都労委に会社が解雇事由として主張した一覧表との各記載間で食い違いがあり、また、会社の主張にかかる解雇事由が不明確なもの、又は認められないものが少なくないこと、会社と組合との間では、春闘期間中の組合の行為に関しては一切責任を追及しない旨の合意が成立したものということができ、仮にそのような明確な合意に至らなかったとしても、少なくとも、会社は、今後ともその責任追及をしない意思であったこと、また、会社は、組合の三役及び中心的活動家としての幹部責任について、各幹部が組合員各自の行き過ぎた行為を指示又は容認した等の事情の有無を検討したとはいえないことが窺われる。
以上の状況のもとにおいては、組合ないし本件被解雇者らの行為は、前記(一)の(1)ないし(4)のとおり、組合活動の一環としてなされたものであり、就業規則所定の解雇事由に該当する行き過ぎが認められるものの、一方的に組合ないし組合員の行為のみを非難することは相当でないのであって、それにもかかわらずさ(ママ)れた本件解雇は、組合のビラ配布による会社の信用を失墜させた行為に対抗し、ビラを配布した組合員を具体的に明らかにしないまま、解雇事由を十分に検討しないで性急に決定したものであるというほかなく、とかく諸要求を争議行為に訴えることの多い組合を嫌悪する会社がこれら組合の行き過ぎた行為に藉口し、組合の三役ないしその中心的活動家であった本件被解雇者らを一挙に企業外に排除し、組合の弱体化を意図した不当労働行為であり、労働組合法七条一号、三号に該当するものというべきである。
二 救済の方法
1 賃金相当額の支払いについて
(一) 組合は、本件解雇を不当労働行為であると判断しながら、本件被解雇者らを含む組合員全員がストライキ中であること及び会社がロックアウトを続けていることを理由に本件解雇日から組合のストライキ中止通告日までの賃金相当額の支払を命じなかった本件命令は、違法、不当であると主張し、また、会社は、組合のストライキ中止通告をした翌日からロックアウト解除後の就労日までの賃金相当額の支払を命じた本件命令は、違法、不当であると主張する。
前記「前提となる事実」8の(一)ないし(五)のとおり、本件被解雇者らは、その他の組合員ら全員とともに同人らが解雇される前の昭和四六年一二月二一日からストライキを続け、会社も、これに対してロックアウトを続けていたが、組合は、本件初審命令が交付された昭和五一年一月一二日をもってストライキを中止する旨会社に通告したにもかかわらず、会社は、ロックアウトを解除する状況にないとして同年六月一日に組合員を就労させるまでの間、これを拒否していた事情がある。
(二) そこで判断するに、本件解雇後の労使関係について、証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。
(1) 昭和四七年一月一一日朝、本社正門前に集まっていた組合員、支援者ら約三〇名は、出勤してきた非組合員を取り囲んで構内に入らないように説得したり、従業員を乗せた通勤バスが構内に入るのを阻止したため、特防のガードマンが組合員らを排除しようとしたが、その際ガードマンに行き過ぎた実力行使あったりして、組合員らとの間で小競り合いが生じた。
(2) 同月一四日朝、組合員、支援者ら四十数名は、従業員を乗せた通勤バスの全(ママ)面に立ちふさがったりして本社への入構を阻止しようとした。そこで盾等を持って強硬に押さえ込もうとするガードマン約二〇名との間でトラブルが生じ、双方に負傷者が出た。またその際、本社正門の門扉(高さ一・二メートルの鉄柵製)が組合員らによって押し倒された。このため、会社は、門扉の内側に木製の柵を設置してロープで固定して補強した。
(3) 同月一九日朝、組合員、支援者ら約三〇名が前回同様に通勤バスの入構を阻止しようとした際、社長がマイクで入構妨害をしないよう呼びかけたが、組合員らはこの呼びかけを無視した。結局、会社の要請により待機していた警察官が組合員らを排除し、その際のトラブルで中嶋執行委員が逮捕された。
(4) 組合は、会社のロックアウト期間中、組合員、支援者をして本社正門前でピケを張るために多数押し掛けさせ、また、荻窪分室に押し掛けて事務室前の廊下に座り込んだりし、その回数は多いときは月に数回あったが、平均して月一回以上あった。その他に、組合員、支援者は、社長及び桜田総務室長その他の会社幹部の自宅へ頻繁に抗議に赴き、あるいは、会社の下請企業に取引の中止を求める抗議行動をし、業務妨害を理由に逮捕されたこともあったが、これを繰り返した。会社は、警備業法の施行(四七年一一月一日)に伴い、ガードマンに代わって新たに警備職員を採用した。警備職員は、当初は五名位で、その後多いときには約三〇名に増員となることもあったが、これら警備職員の中には、ガードマンとして派遣されていた者も含まれていた。組合と会社とのトラブルの中で、双方に負傷者が出ることもあり、以下のような衝突があったが、警備職員の過剰警備が組合を刺激して衝突が大きくなった。
昭和四八年三月一三日、組合員、支援者ら二十数名は、会社と隣接する大一製本との境界の鉄柵製門扉を壊して会社に侵入し、これを排除しようとする警備職員と渡り合い、本社社屋三階の窓をめがけて投石したり、閉鎖中の正門門扉に付設した木製の柵を角材、鉄パイプ、鉈などを使って壊した。このため会社は、四月になって正門門扉を高さ一・八メートルの鉄板製のものに改造した。また、組合員らは、同年七月一九日及び二〇日の二日間にわたり構内に入り、門柱にペンキで「解雇撤回、ロック粉砕、暴力ガードマン追放」と落書きをした。また、同月二七日には、約四〇名の組合員らが偶々少し開いていた正門門扉から無断で構内に入り込み、構内デモ、社屋への投石、事務室への放水などをしたが、この際警備職員と衝突し、双方に負傷者が出た。このため会社は、九月になって正門門扉を高さ三メートルのものにするとともに、敷地周辺の金網フェンスを同じ高さの波型鋼板の塀に増強し、さらに投石防止用ネットを張った。このように塀を高くしてからも、組合員らは、隣地建物の屋根づたいに構内に侵入しようとしたり、石や汚泥をつめたビニール袋、アンモニア溶液をつめた缶等を構内へ投げ入れた。
(5) 組合は、昭和五〇年一二月、組合員に対し、本社正門前のピケを強化し、年末年始に職制自宅糾弾闘争をすることを組合ビラで呼びかけた。
組合は、昭和五一年一月一二日夕刻、会社に対し、同日午後五時をもって昭和四六年一二月一四日に確立したストライキ権に基づいて実施してきたストライキを解除し、昭和五一年一月一三日午前九時から就労するとの申入れをし、昭和四六年一二月以降続けてきたストライキを解除したが、その解除通告書には、本件解雇に関する事項は触れられていなかった。そして、組合は、会社に対し、内容証明郵便をもって、「本件被解雇者らの不当解雇を即時撤回し、原職に復帰させること、即時ロックアウトを解き、組合員全員を就労させること、本件被解雇者らに対して解雇時から昭和五一年三月末日までの賃金として合計九七八五万八九二八円を、その他の組合員一九名に対してロックアウト時から賃金として合計一億六〇三八万〇二四二円を支払うこと」等一四項目を記載した団体交渉要求書を送付した。これに対し会社は、現時点においてはロックアウトを解除できないから労務の提供も受けられない旨を回答した。
会社と組合との間には、団体交渉は、昭和四七年一月一四日に本件解雇理由を議題に開催されたが、その後は同年一〇月二〇日及び三〇日に開かれたものの、団体交渉の議題、出席人数及び開催時間について双方の合意に至らず、話合いの機会がないままに推移した。
(6) 昭和五一年一月一三日、組合員は、組合旗や梯子などを積んだ自動車で本社正門前に来て就労要求を行い、梯子を掛けて塀に昇ろうとしたことから、会社は、三メートルの鉄塀の上にさらに一・五メートルの高さの鉄柵を設けた。会社は、同月一四日、「組合が真実かつ完全に争議を中止して暴力的でない団体交渉によって紛争を解決する意思表示をし行動でもこれを実証し、客観的に会社が対抗的にロックアウトを継続する必要がないような状況になればいつでもロックアウトを解除する用意がある」旨を内容証明郵便で組合に通知し、また、同月一六日、組合の団体交渉要求書に対し、「開催日、その他についてはご承知の通りの状況で、会社側当事者すら入構できず、業務運営は全く麻痺状態にあり、必要な事前の打合せその他もできないため、回答をすることが必然的に不可能な状況にあるので暫く猶予されたい」旨を内容証明郵便で回答したほか、同月二六日にも「緊迫した状態に全く変化がなく、労使双方が冷静に団体交渉議題について話し合える環境にない」旨の見解を内容証明郵便で伝えた。
(7) 組合は、本件初審命令が交付されて以降ほぼ連日にわたり、本社正門前などで就労要求、団体交渉要求のための行動を続けていたが、同年二月二六日になって、本件敷地の近くにある会社駐車場内にテントを設置し、この日以降四月五日に組合自らがこれを撤去するまでテント内に泊込みを続けた。午後五時過ぎ、退社しようとした非組合員は、正門前でビラを配布しようとして待ち受けていた組合員らによって退社を阻止されそうになった。そして、会社の要請で出動した警察官の援助のもとで、約三〇名の従業員が退社したものの、会社の幹部社員など二十数名の従業員は、混乱を避けるため、同日から三月四日まで本社内に泊まり込むこととなった。
(8) 同年三月七日夜、三鈷ほか組合三役と松田惇業務推進部長その他会社中間職制三名との間で非公式折衝が行われ、翌八日未明、「三月九日中に本件初審命令を尊重する前提で第一回団体交渉を開催する。その後は三日に一回の割で団体交渉を開催する」などの合意が成立し、同日から本社における非組合員の就労が平常に戻った。そして、同月八日、中労委から会社に対し、本件初審命令に関する履行勧告が行われ、同月九日、一二日、一五日、一九日、二三日と団体交渉が開催された。組合側からは会社においては解雇が不当労働行為であることを認めて謝罪し、本件被解雇者らを原職又は原職相当職に復帰させるとともに、バックペイに応じ、ポストノーティスをするように求めたのに対し、会社側としては解雇が不当労働行為であることも認めないという態度をとっていたことから、当初は両者の見解が完全に対立し平行線をたどっていたが、中労委から会社に対し履行勧告が出されたこともあり、第五回団体交渉においては会社側が双方の中労委への再審査申立ての取下げを前提として、本件被解雇者らを原職又は原職相当職へ復帰させることと解決金名目で若干の支払を行うことで解決への含みを示し、組合側は当初からの主張を繰り返していたものの、次回には双方から具体的な解決案を持ち寄って話し合うということになった。
(9) 同月二七日、第六回団体交渉が組合側で設定した三鷹労政事務所の講堂を会場として、午後一時から開催されたが、開始後約一時間ほどして約一五〇名の支援者らが加わり、この日の団体交渉は翌二八日午前一時三〇分頃まで続けられた。団体交渉が右のような公開団体交渉に切り替えられることは組合側の既定方針であったが、会社側には知らされておらず、社長、松田業務推進部長その他の会社幹部は、これに抗議して退席しようとしたが、組合員らに腕や肩を押さえられ、無理やり着席させられ、さらに、「お前がちゃんと謝罪して、バックペイを払うというまで団交はやめないぞ」などと面罵され、組合側の用意した「争議全面解決についての組合の基本的態度と解決案」をほぼ認める内容の確認書に署名するとともに、次回団体交渉を同月三一日とすることを決めた。
しかし同月三〇日、社長は、三鈷に対し、確認書は強要されて書かされたものであるから、三一日の団体交渉は関知しないとの電話をするとともに、組合に対しては、四月二日付内容証明郵便で、前回の団体交渉は不法監禁下で強行されたもので無効であり、したがって確認書も無効であるとの見解を明らかにした。
(10) 組合員らは、同月三一日の午前と午後の二回にわたって鉄塀や鉄柵の一部を壊して構内に入り、倉庫の外壁の一部を壊し、会社が同日予定の団体交渉を拒否したことに抗議するシュプレヒコールやデモを繰り返した。また、翌四月一日夜一〇時過ぎに、社長が車体に金網を取り付けた車で構内に入ろうとしたところ、正門の前に組合員らの車が止めてあったことから、この車の退去をめぐって、正門付近の路上の焚火をしていた組合員らと本社内にいた警備職員らとの間で乱闘となり、警備職員が組合員らの車のフロントガラスを割り、千葉の頭部に重傷を負わせたりし、双方が構内外に石やビン、角材、竹棒等を投げ合った。そして四月三日、東村山警察署は三月二七日、三一日、四月一日のトラブルについてテントや警備職員宿舎の捜索を実施し、結局その後に山入端、中嶋、千葉ほか合計九名の組合員、支援者が起訴され、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反等で有罪判決が確定したが、組合はその後四月五日になって自主的にテントを撤去した。この日以降六月一日に組合員が就労するまで、組合員らが本社の構内に入構しようとしたことはなく、トラブルもなかった。
(11) 会社は、五月九日、組合に対し、本件初審命令に対する不服申立てを放棄するものではないとしながら、中労委の履行勧告の趣旨に沿って、昭和五一年五月一二日午前九時をもってロックアウトを解除し、同日時から、本件被解雇者らを原職相当職に仮に復帰せしめたうえ、被解雇者ら以外の組合員とともに就労すべきことを求める旨を内容証明郵便をもって通告するとともに、各組合員に対しても同様の通知をした。
これに基づき、組合と会社との間で団体交渉が四回重ねられ、組合は、就労場所、業務内容等について不満を示したが、同月二六日、就労を六月一日からとする旨を会社に通知した。
(三) 以上の事実及び前記「前提となる事実」6の(四)ないし(九)、7の(四)、8によれば、組合は、昭和四六年一二月二〇日に会社との団体交渉が決裂した後、同月二一日から無期限ストライキに入り、常時組合員七、八名を本社製版室に泊まり込ませ、無断で、電話、暖房器を使用し、石油ストーブを持ち込んで使用し、ヒューズボックスの会社の封印を破棄して電源を入れ、会社敷地内と大一製本正門前公道上など数か所で焚火をし、搬送通路に設置していた有刺鉄線の柵の一部を再三取り払って座り込み、スクラムを組んで非組合員の入社を阻止するなどの違法な争議行為を継続し、本件解雇後もこの無期限ストライキを続けるとともに、本社門前で抗議行動を続けてきたものであり、右に至る労使関係の経緯、組合側の争議行為の態様、これによって会社側の受ける打撃の程度等諸般の事情に照してみると、会社がこれら組合の争議行為に対抗して一二月二九日にロックアウトを宣言したことは、ガードマンに行き過ぎた実力を行使させた点はともかくとして、それ自体は防衛手段として相当の範囲を超えているとは認められず、直ちに不当な措置であるとはいいがたいというべきである。また、会社のロックアウト後、組合は従業員を乗せた通勤バスが構内に入るのを阻止したり、本社正門前でピケを張るために多数の組合員、支援者を押し掛けさせたり、門扉を壊して会社に侵入して構内に入ったり、荻窪分室に押し掛けて事務室前の廊下に座り込んだり、構内デモ、社屋への投石、事務室への放水などの実力行使をしていたものであり、これら組合の行動に鑑みれば、会社がロックアウトを継続する態度に出たのは無理からぬ事情がある。
そして、組合の長期にわたるストライキ中の行き過ぎた行動及び多大な要求に鑑みれば、組合員が平穏裏に就労する用意があり又は平和的に団体交渉をする準備があると直ちに判断し得ない状況にあったものというべきであるから、組合が、昭和五一年一月一二日にストライキを解除して、会社に対して就労請求及び団体交渉開催要求をしたのに対し、会社が三月七日まで団体交渉開催の準備をせず、約四か月後の同年五月一一日までロックアウトを解除しなかったことは、やむを得ない措置であったと認めることができる。すなわち、会社が、組合の就労請求及び団体交渉開催要求に対し、現時点においてはロックアウトを解除できないから労務の提供も受けられない、会社側当事者すら入構できず、業務運営は全く麻痺状態にあり、必要な事前の打合せその他もできない旨を回答したことは、長期間のストライキ、ロックアウトが続いた混乱状況を収拾して紛争を解決するために当面事態の推移を見守る態度に出たものであって、この点に会社側が著しく努力を怠ったものというべき事情は見当たらない。その後、組合に過激な行動があり、非難されるべき刑事事件に発展した経緯があり、本件解雇が不当労働行為であるとの本件初審命令が発令されたからといって、本件ストライキ、ロックアウトは本件解雇前に発生した労使紛争の話合いによる解決ができなかったために敢行されたものであって、その点になんら解決の糸口を掴めない状況にあったことからすれば、組合の就労申入れに対して会社がロックアウトを継続し、その後組合との団体交渉の結果により就労日を六月一日とする措置をとったことが、不当であるとはいえないというべきである。
組合は、本件解雇が不当労働行為に当たる以上、当然に解雇期間中の賃金相当額の支払いが命ぜられるべきであると主張するが、組合は本件解雇前から解雇の当否とは関わり合いのない要求を掲げてストライキを実行し、これに対抗して会社もロックアウトを実施し、かつ、双方がこれを継続してきたものであり、組合がストライキを解除して就労請求をした後も、会社は、当時の労使関係の実情に鑑み、ロックアウトを継続してきたものであって、その点にやむを得ない事由があると認められるのであるから、これらの労使間の交渉経過、組合側の争議行為の態様、会社側の受けた打撃の程度等に関する諸事情を総合考慮すると、本件ロックアウトは、組合の争議行為に対する対抗防衛手段として相当と認められるものであり、会社は正当な争議行為として右ロックアウト期間中における賃金支払義務を免れるものというべきであって、本件不当労働行為の救済として、本件解雇後の賃金相当額の支払いを命ずることは相当ではないというべきである。
したがって、本件の救済として、本件解雇日から組合がストライキを解除して就労請求をした昭和五一年一月一二日までの賃金相当額の支払いを命じなかった本件命令部分は適法であるが、翌一三日から組合員が就労を開始した日の前日である同年五月三一日までの賃金相当額の支払を命じた本件命令部分は違法であるといわざるを得ない。
2 ポスト・ノーティスについて
本件命令がポスト・ノーティスを命じなかったことは、本件の不当労働行為の経緯・態様と組合の受けた不利益の回復の程度等諸般の事情を総合勘案すると、被告に認められた裁量権を逸脱した違法があるとは認められない。
三 以上によれば、本件命令中、主文2項の部分(組合が就労請求をした日の翌日である昭和五一年一月一三日から組合員が就労を開始した同(ママ)年五月三一日までの賃金相当額の支払を命じた部分)は違法であるから、甲事件原告の請求に基づき、これ(3項も含む)を取り消すこととし、その余の部分は適法であるから、それらの部分に関する甲、乙両事件の原告らの請求をいずれも棄却する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 遠藤賢治 裁判官 片田信宏 裁判官吉田肇は填補につき署名押印できない。裁判長裁判官 遠藤賢治)
(表一)
<省略>
(表二)
<省略>